いま国会で、二つの法案が同時に最終局面を迎えています。一つは「国旗を傷つけたら犯罪」とする法案。もう一つは「首相直属の新しい情報組織」を作る法案。別々のニュースとして報じられていますが、よく見てみると、同じものが見えてくるのです。
国旗損壊罪——誰のための法律でしょうか
まず一つ目、日本国国章損壊罪です。高市首相が15年以上前から温めてきた、悲願の法案だと言われています。
この法案について、最初に湧く疑問は「なぜ今、必要なのか」という点です。日本で誰かが日の丸を燃やしたという事件を、ニュースで見たことはありますか。1987年の沖縄国体で日の丸が引き下ろされて燃やされた事件がありましたが、この事件は現行の器物損壊罪で有罪となっています。新しい法律がなくても、対処はできています。
岩屋毅前外相は、自民党の議論の場で「日章旗を焼いたようなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律をつくることは過剰規制になる」と発言しました。党内のベテラン議員からも「現時点で制定しなければならない必然性はない」という声が出ています。
では、なぜ法案の成立に向けて動いているのでしょうか。
参政党の神谷代表が、法案提出を急いだ動機を率直に語っています。昨年の参院選で、街頭演説の現場に「バツ印」をつけた日の丸を掲げて抗議する市民がいた。それを見て「こんなことが許されるのか」と感じ、法案の準備を始めたのだ、と。
つまり、特定の政党の街頭演説に抗議する市民の表現を抑え込みたい、というのが立法の直接の動機です。そして法案には、SNSへの投稿も処罰対象に含めることが盛り込まれています。抗議行動と、その拡散を、ピンポイントで規制する設計になっています。
国家情報会議——新しい組織は何をするのでしょうか
もう一つは、国家情報会議設置法案です。首相を議長とする会議を新設し、現在の内閣情報調査室を「国家情報局」に格上げして、首相直属の組織に置く、というものです。すでに衆院を通過し、参院で審議中です。
政府の説明はこうです。「行政機関同士の関係を整理するだけで、国民の権利には直接関わらない」。けれども、新組織には各省庁から情報を吸い上げる権限が与えられ、SNS上の「外国勢力の工作活動」も明示的に調査対象に入りました。
情報を扱う仕組みは、現在もたくさんあります。警察庁、外務省、防衛省、公安調査庁、内閣情報調査室。それぞれが情報を集め、特定秘密保護法をはじめ各種の法律も整備されています。重複する機能を整理するならわかります。しかし、それらの上に新組織を上乗せする必要が、どこにあるのでしょうか。
野党から「政府に批判的なデモの参加者が監視対象になることはないか」と問われた首相は、「想定しがたい」と答えました。「しない」ではなく、「想定しがたい」なのです。
過去に何があったか。2007年、自衛隊の情報保全隊がイラク戦争への抗議活動を監視していたことが発覚しました。仙台高裁は2012年に違法と認定しました。注目すべきは、監視対象に医療費負担問題のデモなど、安全保障とは無関係な市民活動まで含まれていたことです。
「想定しがたい」とされていた監視が、過去には現実に行われていました。新しい組織ができたあと、その範囲を決めるのは運用する側です。それを制約する規定は、法律のどこにもありません。
二つを並べてみると
ここから、二つの法案を重ねて見てみます。
ある市民が、政府の政策に抗議する街頭行動に参加しています。スマホで現場を撮影し、SNSに投稿する。よくある光景です。その投稿に、加工や演出が施された日の丸が映っています。
国旗損壊罪が成立した世界では、それが「著しく不快または嫌悪の情を催させる方法」と判断されれば、処罰対象になり得ます。何が「著しく不快」なのか、判断するのは警察と検察なのです。
国家情報局が稼働した世界では、その投稿はSNS上の言論として、「外国勢力の影響工作」調査の枠組みで監視対象になり得ます。「想定しがたい」と答弁された範囲かどうかは、運用する側が決めます。
それぞれの法案は、単体で見れば「限定的だ」「内心には立ち入らない」と説明されています。けれども、判断・運用する側と、市民の側とでは、見える景色は変わってきます。表現が犯罪化される可能性と、その表現が監視される可能性が、同じ場面で重なるからです。
しかも、政府はこれを「第一歩」だと公言しています。次のステップとして「対外情報庁」の設立と「スパイ防止法」の制定が予定されています。一歩目ですら、これだけの広がりを持ち得るわけです。これでは、危険を感じざるを得ません。
「限定的」と言われても
法律ができる時、立法者はいつも「限定的だ」と説明します。「外形的な判断にとどめる」「内心には立ち入らない」「想定しがたい」。
けれども法律は、運用する側の判断に委ねられるものです。骨子案に書かれた歯止めも、付帯決議も、運用主体の裁量を縛る効力には限度があります。
立法事実が薄い法案は、社会的な関心も集めにくいものです。経済政策や外交問題に比べて、刑法の改正や行政組織の再編は、地味に映ります。けれども、地味だからこそ反対の声も大きくならず、与党は粛々と採決まで持っていける。これは、立法事実なき立法を通すには、たいへん都合のよい環境なのです。
終わりに
二つの法案を、別々のニュースとして眺めるか。それとも、並べて読むか。
並べて読んだとき、何が動いているのか。市民の側から見える景色は、どう変わるのか。「限定的だ」という説明を、どこまで信じられるのか。
ニュースは普通、一本の法案ごとに「成立しました」「可決されました」と報じられます。けれども、いくつかの法案を線でつないで読むことで、はじめて見えてくる方向というものがあります。今回のように、似た時期に、似た性格の法律が、別々の名前で進んでいるとき、それぞれを単独で評価するだけでは足りないのではないか。少なくとも、そう疑ってみる価値はあると思うのです。
考えるための材料は、すでに揃っています。問題は、考えるための時間が、もう多くは残されていないということなのです。
